近年、食の安全に対する意識は高まる一方です。スーパーマーケットの棚に並ぶ食品、レストランで提供される料理、そして私たちの家庭の食卓に上る食材。これらすべてが安全で衛生的な状態に保たれていることが、私たち消費者にとって最も重要な願いと言えるでしょう。
食中毒の原因となる細菌やウイルスは、私たちの身の回りに常に存在しています。特に食品を扱う現場では、これらの微生物の繁殖をいかに抑え、消費者に安全な食品を届けるかが喫緊の課題となっています。
そんな中、食品の殺菌・衛生管理に「次亜塩素酸水」が活用される機会が増えています。しかし、「次亜塩素酸水」と聞くと、「塩素」という言葉から、何となく危険なイメージや、プールの消毒液のような刺激臭を想像する方もいらっしゃるかもしれません。
本記事では、次亜塩素酸水が食品殺菌においてなぜ注目され、どのように活用されているのか、その安全性と有効性について、科学的根拠に基づきながら詳しく解説していきます。安全・安心な食生活を送るための新常識として、次亜塩素酸水への理解を深めていきましょう。
1. 食中毒のリスクと従来の殺菌方法の課題
食の安全を守る上で避けて通れないのが、食中毒の問題です。まずは日本における食中毒の現状とそのリスク、そしてこれまで用いられてきた殺菌方法が抱える課題について見ていきましょう。

1-1. 日本における食中毒の現状とリスク
日本は世界でも有数の食品衛生管理体制を誇りますが、それでも食中毒の発生は後を絶ちません。厚生労働省の統計によると、毎年数千件の食中毒が発生し、数万人が被害に遭っています。原因となる主な細菌にはサルモネラ菌、腸管出血性大腸菌O157、カンピロバクター、黄色ブドウ球菌などがあり、ウイルスではノロウイルスがよく知られています。これらの微生物は、食品の表面だけでなく、調理器具や手指を介して食品に付着し、適切な処理が行われないと増殖して食中毒を引き起こします。
食中毒は、軽い胃腸炎で済む場合もありますが、高齢者や乳幼児、免疫力の低下した人にとっては命に関わる重篤な症状を引き起こすこともあります。そのため、食品を取り扱うすべての工程において、徹底した衛生管理と殺菌が不可欠なのです。
1-2. 従来の主な殺菌方法とそれぞれの課題
これまで食品の殺菌には、様々な方法が用いられてきました。代表的なものをいくつか見てみましょう。
- 加熱殺菌
高温で一定時間加熱することで微生物を死滅させる方法です。最も確実な殺菌方法の一つですが、食品の風味や栄養価を損なう可能性があります。また、加熱できない生鮮食品には適用できません。 - アルコール消毒
エタノールなどのアルコールを用いて手指や調理器具の殺菌を行います。即効性があり、揮発性も高いため広く利用されていますが、有機物の存在下では効果が低下しやすく、すべての微生物に有効ではありません。また、食品自体への直接的な使用には制限があります。 - 塩素系漂白剤(次亜塩素酸ナトリウム)
強力な殺菌力を持つため、主に調理器具や施設の消毒に用いられてきました。しかし、高濃度で使用すると刺激臭が強く、金属腐食性があるほか、食品に残留すると健康被害の懸念が生じるため、食品への直接的な使用は推奨されません。また、有機物と反応してトリハロメタンなどの有害物質を生成する可能性も指摘されています。 - 紫外線殺菌
紫外線ランプを用いて微生物のDNAを損傷させ、増殖を抑制する方法です。非接触で殺菌できる利点がありますが、影になる部分には効果が届かず、表面殺菌に限られます。
これらの従来の殺菌方法は、それぞれにメリットがある一方で、食品殺菌の現場においては、効果の限界、安全性への懸念、食品品質への影響といった課題を抱えていました。特に、生鮮食品の殺菌や、調理器具・作業環境の広範囲かつ安全な衛生管理には、より効果的で安全性の高い方法が求められていたのです。
2. 次亜塩素酸水とは何か?科学的根拠に基づいたその特性
従来の殺菌方法の課題を解決する手段として注目されている次亜塩素酸水。ここでは、次亜塩素酸水がどのような物質なのか、その科学的根拠に基づいた特性について詳しく解説します。

2-1. 次亜塩素酸水と次亜塩素酸ナトリウムの違い
「次亜塩素酸水」と聞くと、「次亜塩素酸ナトリウム」と混同されることが少なくありません。どちらも「塩素」を含むため、同じようなものだと思われがちですが、これらは全く異なる物質です。
- 次亜塩素酸ナトリウム
いわゆる「ハイター」や「ブリーチ」などの塩素系漂白剤・殺菌剤の主成分です。アルカリ性であり、高濃度では強い漂白作用と腐食性があり、特有の刺激臭がします。有機物と反応すると有害な塩素ガスを発生させる可能性や、トリハロメタンを生成するリスクがあります。主に衣類の漂白や、施設の消毒に用いられ、食品への直接散布は推奨されません。 - 次亜塩素酸水
水道水に食塩や塩酸を加えて電気分解することで生成される、ごく微量の次亜塩素酸(HClO)を主成分とする水溶液です。pHによって弱酸性、微酸性、強酸性の3種類に分けられます。最も殺菌効果が高いのは、人体や食品に優しいpH領域である弱酸性~微酸性のものです。次亜塩素酸水は、次亜塩素酸ナトリウムと比較して、塩素濃度が低く(10~80ppm程度)、より高い殺菌効果を持ちながら、刺激性や腐食性が格段に低いという特性があります。
2-2. 次亜塩素酸水の生成方法と種類(pHによる分類)
次亜塩素酸水は、そのpHによって、殺菌効果と安定性が異なります。
- 強酸性次亜塩素酸水(pH 2.7以下)
比較的高濃度の次亜塩素酸を含み、強力な殺菌力を持ちますが、安定性が低く保存性に劣ります。金属腐食性も若干あります。 - 弱酸性次亜塩素酸水(pH 2.7~5.0)
次亜塩素酸が最も効率的に存在するpH帯域であり、高い殺菌効果と比較的良好な安定性を両立しています。食品添加物として指定されているのはこのpH帯域のものです。 - 微酸性次亜塩素酸水(pH 5.0~6.5)
弱酸性次亜塩素酸水と同様に、高い殺菌効果と良好な安定性を持ち、人体への刺激も極めて少ないとされています。
これらの次亜塩素酸水は、専用の生成装置を用いて、水道水と食塩(塩化ナトリウム)または希塩酸を電気分解することで作られます。電気分解の条件を調整することで、目的のpHと有効塩素濃度の次亜塩素酸水を生成することができます。
2-3. 殺菌メカニズム:なぜ強力な殺菌力を持つのか
次亜塩素酸水が強力な殺菌力を持つ理由は、その主成分である「次亜塩素酸(HClO)」にあります。
- 次亜塩素酸(HClO)の浸透力
次亜塩素酸は、次亜塩素酸イオン(ClO⁻)と比較して、分子サイズが小さく、電気的に中性であるため、細菌やウイルスの細胞膜を容易に透過することができます。 - 酸化作用による不活化
細胞膜内に入り込んだ次亜塩素酸は、微生物の細胞壁や細胞膜、DNA、酵素などに直接作用し、その構造を酸化・破壊します。これにより、微生物は増殖能力を失い、死滅または不活化されます。
このメカニズムにより、次亜塩素酸水は、大腸菌、サルモネラ菌、黄色ブドウ球菌、カンピロバクターなどの細菌だけでなく、ノロウイルス、インフルエンザウイルスなどのウイルスに対しても、短時間で効果的な殺菌・不活化作用を発揮します。しかも、この作用は、次亜塩素酸ナトリウムの数十倍から数百倍とも言われる速度で進行するとされています。
3. 食品添加物としての安全性と国の認可
次亜塩素酸水が食品殺菌に広く活用されるようになった最大の理由が、その高い安全性にあります。ここでは、厚生労働省による食品添加物としての指定と、人体や環境への安全性について詳しく見ていきましょう。

3-1. 厚生労働省による食品添加物としての指定
次亜塩素酸水が食品殺菌に広く活用されるようになった背景には、その安全性が国によって認められたことが大きく影響しています。2002年、厚生労働省は、次亜塩素酸水(殺菌料)を食品添加物として指定しました。これは、特定の条件下(有効塩素濃度10~80ppm、pH2.7~6.5)で生成された次亜塩素酸水が、食品の殺菌に用いても安全であり、かつ有効であると認められたことを意味します。
食品添加物として指定されるということは、その物質が人の健康を損なう恐れがないと科学的に評価され、使用基準が定められていることを意味します。これにより、食品加工の現場で安心して次亜塩素酸水を使用できる道が開かれました。
3-2. 人体への安全性:残留性、刺激性、環境負荷
次亜塩素酸水が食品添加物として認められた最大の理由は、その高い安全性にあります。
- 残留性
次亜塩素酸水は、殺菌作用を発揮した後、速やかに分解されて水に戻ります。このため、食品に残留する心配がほとんどなく、食品の味や風味に影響を与えることもありません。食品を次亜塩素酸水で殺菌した後、改めて水道水で洗い流す必要も基本的にはありません。(ただし、使用する次亜塩素酸水の有効塩素濃度や食品の種類によっては、軽く水で流すことが推奨される場合もあります。) - 刺激性
非常に低い塩素濃度で強力な殺菌力を発揮するため、次亜塩素酸ナトリウムのような刺激臭や皮膚への刺激がほとんどありません。万が一、手にかかっても、一般的なハンドソープのように洗い流すだけで問題ありません。目に入った場合でも、すぐに水で洗い流せば大事に至ることは稀です。 - 環境負荷
分解されて水に戻るため、環境中に有害物質を排出する心配がありません。排水処理の負担も少なく、環境に優しい殺菌料と言えます。
これらの特性により、食品を扱う現場だけでなく、病院や介護施設、保育園など、衛生管理が特に求められる場所で、安心・安全な殺菌剤として次亜塩素酸水が利用されています。
3-3. 誤解されやすい「塩素」のイメージ
「塩素」という言葉を聞くと、プールの消毒臭や、毒ガスを連想される方がいらっしゃるかもしれません。しかし、次亜塩素酸水に含まれる「塩素」は、私たちが普段使用している水道水に含まれる残留塩素と本質的には同じものです。水道水の消毒にも次亜塩素酸が用いられており、その安全性は長年にわたって確立されています。
次亜塩素酸水は、次亜塩素酸ナトリウムのような強アルカリ性の物質ではなく、人の肌に近い中性~弱酸性のpHで作用するため、刺激性が極めて低いのが特徴です。この「塩素」に対する誤解を解き、次亜塩素酸水の正しい知識を広めることが、安全な利用を促進する上で重要となります。
4. 食品殺菌における次亜塩素酸水の具体的な活用例
安全性と強力な殺菌力が認められている次亜塩素酸水は、様々な食品の殺菌や調理現場の衛生管理へ、どのように活用されているのでしょうか。ここでは、その多様な応用例をご紹介します。

4-1. 農産物・水産物の洗浄・殺菌
- 野菜・果物
生で食べることが多いレタスやトマト、イチゴなどの野菜や果物は、土壌菌や農薬が残っている可能性があります。次亜塩素酸水で洗浄・殺菌することで、これらの微生物や残留農薬のリスクを低減し、より安全に食べることができます。特にカット野菜工場では、商品の品質保持と安全性の確保のために広く導入されています。 - 魚介類
刺身など生食する機会の多い魚介類は、食中毒の原因菌が付着しやすい食材です。次亜塩素酸水で洗浄することで、鮮度を保ちながら、表面に付着した細菌を効果的に殺菌し、食中毒のリスクを低減できます。
4-2. 肉類の洗浄・二次汚染防止
食肉加工工場では、食肉の表面に付着している細菌(サルモネラ菌、カンピロバクターなど)を減らすために、次亜塩素酸水が利用されることがあります。また、食肉のカット時に発生する細菌の拡散や、他の食材への二次汚染を防ぐため、調理器具や作業台の消毒にも用いられます。
4-3. 調理器具・施設の除菌・消臭
- まな板・包丁
食材を扱う調理器具は、微生物が付着しやすい場所です。次亜塩素酸水は、まな板や包丁を浸け置きしたり、スプレーで吹きかけたりすることで、効率的に除菌できます。次亜塩素酸ナトリウムのように金属を腐食させるリスクが低いため、安心して使用できます。 - 調理台・シンク
調理台やシンクも、食材のカスや水滴が残りやすく、細菌が繁殖しやすい環境です。次亜塩素酸水で拭き掃除をすることで、衛生的な状態を保てます。 - 冷蔵庫・ショーケース
冷蔵庫内や食品陳列用のショーケースは、温度管理がされていても、微生物が付着・繁殖する可能性があります。次亜塩素酸水で定期的に清掃・除菌することで、カビの発生を抑え、食品の鮮度保持にも寄与します。 - 厨房内の空間噴霧
一部の飲食店や食品工場では、厨房内の空気中の浮遊菌や付着菌を低減するために、次亜塩素酸水を専用の噴霧器で空間噴霧する例も見られます。これにより、厨房全体の衛生レベルを向上させ、食中毒のリスクをさらに低減する効果が期待されます。同時に、気になる生ゴミや食材の臭いを消臭する効果も期待できます。
4-4. その他、食品加工現場での応用
- 手洗い・手指消毒
食品を扱う作業者の手指衛生は、食中毒防止の基本です。次亜塩素酸水は、手荒れの心配が少ないため、手洗いや手指消毒に活用することで、二次汚染防止に貢献します。 - ふきん・タオルの除菌
調理に使うふきんやタオルは、すぐに菌が繁殖して臭いの原因にもなります。次亜塩素酸水に浸け置きすることで、除菌と消臭が同時に行えます。
このように、次亜塩素酸水は、食材の前処理から調理環境の整備、作業者の衛生管理に至るまで、食品衛生管理の様々な場面でその効果を発揮しています。
5. 次亜塩素酸水を選ぶ際のポイントと注意点
次亜塩素酸水を安全かつ効果的に利用するためには、製品選びと正しい使用方法が非常に重要です。ここでは、次亜塩素酸水を選ぶ際のポイントと、使用上の注意点について解説します。
5-1. 品質と表示の確認:有効塩素濃度、pH、食品添加物表示
- 有効塩素濃度とpH
食品殺菌に用いる次亜塩素酸水は、厚生労働省が定める基準(有効塩素濃度10~80ppm、pH2.7~6.5)を満たしているものを選びましょう。製品によっては、有効塩素濃度やpHが記載されていないものもありますので、必ず確認してください。 - 食品添加物表示
食品に直接触れる用途で使用する場合は、「食品添加物」として認可された製品であることを示す表示があるものを選びましょう。これにより、安全性が担保されていることが確認できます。 - 生成方法
電気分解で生成されたものであることを確認しましょう。次亜塩素酸ナトリウムを希釈しただけのものは、次亜塩素酸水ではありません。
5-2. 保存方法と使用期限
次亜塩素酸水は、紫外線や熱、空気中の有機物によって分解が進み、有効塩素濃度が低下します。
- 冷暗所保存
直射日光を避け、冷暗所で保存しましょう。 - 密閉保存
空気に触れることで有効成分が失われやすくなるため、密閉できる容器で保存することが重要です。 - 使用期限
製品によって異なりますが、生成後1ヶ月~3ヶ月程度で使い切ることが推奨されます。有効塩素濃度が低下すると、殺菌効果も弱まってしまいます。大容量で購入する場合は、小分けにして保存するなど、工夫が必要です。
5-3. 使用上の注意点
- 用途に応じた使い分け
家庭用と業務用では、有効塩素濃度や生成装置の性能が異なります。用途に合った製品を選びましょう。 - 金属腐食への配慮
微酸性~弱酸性の次亜塩素酸水は、次亜塩素酸ナトリウムと比較して金属腐食性が低いですが、長時間接触させると変色や錆の原因になる場合があります。特に、精密機械や高級な金属製品に使用する際は、注意が必要です。使用後は水で軽く洗い流すか、乾拭きすることをお勧めします。 - 誤飲の防止
安全性が高いとはいえ、飲用水ではありません。小さなお子様の手の届かない場所に保管し、誤飲には十分注意しましょう。 - 他の薬剤との混合禁止
次亜塩素酸水は、酸性の洗剤など他の薬剤と混ぜると、有毒ガスが発生する危険性があります。絶対に混ぜないでください。
適切な製品を選び、正しい方法で使用することで、次亜塩素酸水のメリットを最大限に活かすことができます。
7. まとめ:次亜塩素酸水がもたらす安全・安心な食の未来
本記事では、食品殺菌に次亜塩素酸水が使用される理由について、その特性、安全性、具体的な活用例、注意点に至るまで詳しく解説してきました。最後に、次亜塩素酸水が私たちの食の未来にもたらす可能性についてまとめます。
次亜塩素酸水は、従来の殺菌方法が抱えていた課題を解決し、食の安全・安心を大きく向上させる可能性を秘めた画期的な殺菌料です。
- 強力な殺菌力
大腸菌、サルモネラ菌などの細菌や、ノロウイルス、インフルエンザウイルスなどのウイルスを短時間で効果的に不活化します。 - 高い安全性
殺菌作用を発揮した後は速やかに水に戻るため、食品への残留の心配がありません。人体への刺激も少なく、環境負荷も低いのが特徴です。 - 汎用性
生鮮食品の殺菌から、調理器具、作業環境、手指の消毒まで、食品衛生管理の様々な場面で活用できます。 - 食品添加物としての認可
厚生労働省が食品添加物として認可しており、その安全性が国によって保証されています。
これらの特性により、次亜塩素酸水は、食品加工工場や飲食店といったプロの現場はもちろんのこと、私たちの家庭の食卓においても、安全・安心な食生活を守るための強力な味方となり得ます。
もちろん、次亜塩素酸水は万能薬ではありません。適切な濃度で使用すること、保存方法に注意すること、そして他の衛生管理(手洗い、加熱など)と組み合わせることが重要です。しかし、正しい知識と使い方を身につければ、私たちの食生活をより安全で豊かなものにしてくれるでしょう。







